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書くことからはじめてみよう。

言葉にすることで、何かが変わるかもしれない。

パン屋の出張販売

エッセイ

6階にある本屋を出て、百貨店の一階に下りると、入り口前でパン屋の出張販売が行われていた。

特徴的なパンたちは、どこかのカフェで食べたことのあるドイツ生まれのパンで、その時のおいしさを覚えていたから、つい一つ買ってしまった。

あれは確か、先月吉祥寺に行ったときだったと思う。路上ライブを見終わって、一休みしたいと思って商店街をぐるぐる回っていると、どこか懐かしげな雰囲気の漂うパン屋があったので、フラッと立ち寄ってみた。店内で食べれそうだったのも僕を後押しした。見慣れないパンばかりでどれにしようか迷いつつ、二つ三つ選んで買って、カフェラテと一緒に二階の席に上がって食べた。ひとつめのパンをかじってみると、おお!うまい!!と声が出そうになるほどで、店内の雰囲気も落ち着いており、幸せな気分に浸りながら食べたのがとても印象に残っている。

この出張販売には、還暦の少し前位の男性と、お婆さんと呼ばれる手前位の(男性店員の母親かとみられる)女性とが店番をしていた。吉祥寺の店では、30歳前後くらいの若い男女が数人いたのを見ただけなので、あ、吉祥寺のとは違う店かな、こういうドイツのパンってよくあるやつなんかな、と思いながらお会計をお願いした。

男性がレジに向かうとき、ふと建物の柱を見ると、お店のポスターが貼ってある。よく見るとそこに、ローマ字で「kichijoji」の文字があった。あ!これ絶対そうじゃね!?そう思うとちょっとうれしくなって、その時ふと目が合った女性の店員に、なんとなく微笑して、そのまま会釈をしてしまった。するとその女性も笑顔になって、同じように会釈した。おつりとパンを男性から渡されるときには、わざわざレジの方にも寄って来た。

袋を受け取り、「ありがとうございます」と言いながら、再び女性の方に目をやって、またお互い微笑みながら会釈をした。彼女はなんとなく僕とコミュニケーションをとりたいような感じであった。あるいは僕がそんな顔をしていたから、彼女はそのように応えたのかもしれない。こういうときは、僕の方から「どこから来たのですか?」と伺って、「吉祥寺です」と答えられたら、「吉祥寺のお店なら、行ったことがあります」と答えれば、些細ではあるけれど和やかな時間を過ごすことができたのかもしれない。その一言を口にしてみようかな、そう思ったけれど、お店の店員が見たことのない二人だった時に「違う店かな...」と感じた不安がなんとなく上回って、それを言い出すことはなく店を後にした。

ただただ、二十代半ばのお客と品の良いおばあちゃんが微笑んで会釈をしたという、それだけのことだった。

パンは相変わらずうまかった。

 

おわり