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書くことからはじめてみよう。

言葉にすることで、何かが変わるかもしれない。

和邇合宿⑤-からだとことばのレッスン「鹿踊りのはじまり」

三日目

 

いよいよ最終日の朝を迎えました。

朝の九時に、けいこ場の会場に皆が集まりました。二日間の疲れと、本番への緊張が、それぞれの顔や体に現れていました。

この日は、それぞれの参加者が一人で行えるからだほぐしをしました。脚を開脚し、片方の足を曲げ、骨盤・仙骨のあたりにある水(イメージ)が揺れ動くようにして、からだを左右にゆすっていきます。しばらくしたら、両足を正面に伸ばして座り、さっきまで伸ばしていた方の足を曲げて、そのの足首が反対の足の膝の上あたりに乗るようにします。そしてその足首を両手で回して、足の裏をマッサージして、また両手で回します。それが終わったら、最初の開脚の姿勢にもどり、またからだを左右にゆすります。これを左右両方やりました。

誰かにからだを動かしてもらう気持ちよさには言葉に言い尽くせないものがありますが、その難点は自宅に帰った時に自分一人では行えないことでした。そのためこの体操を教えてもらえたことは、僕自身とても嬉しかったですし、参加者の皆さんにとっても一つの手土産になったかもしれません。

その次に、「四股」をやりました。つま先が外側を向くようにして、両足を大きく開きます。両手を左右に伸ばし、手の指先が延々と伸びていくような感覚を持ちながら、腰を下へ下ろしていき、ひざが90度くらいになったらその姿勢で止まります。姿勢は止まっていますが、からだ全体が空間に広がっていくような感覚を持つことが大事です。実際、これをやってみると、体が熱くなってきて、エネルギーが体に充満していくように感じました。少し足は疲れますが、ウォーミングアップにちょうど良い体操と言えるかもしれません。

準備体操が終わったら、本番前の最後の通しけいこをしました。

まずは最初に発表するAグループです。僕はこのグループではナレーションをすることになっていました。二日間のからだほぐしやけいこを通じて、声が容易く響くようになっていると感じました。レッスン場に響き渡る、空間に充満する声を、結構な割合で出すことができていたのではないかと思います。とても気持ちが良かったです。そのような良く響く声を出せているときには、声に出して読んでいる言葉と、その時初めて出会ったような心地がしました。

鹿たちの声も、はじめの頃よりは響くようになっていましたが、本番への緊張が高まっていたせいか、どことなく落ち着きすぎているところがありました。特に後でけいこをしたBグループは、この日のけいこのはじめのうちは、からだが全然踊っていなくて、昨日までのエネルギーはどこへ行ったんだろうという気がしました。それでも、一度ゆっくりになった流れの中に身を置いてしまうと、その流れを変えるのは容易いことではありません。鹿たちはみな、場の空気感に重さを感じてはいるものの、どうしてよいか分からずにいるようでした。

そういうときには、やはり、瀬戸嶋さんの指導が入りました。そして、しばらくのけいこが行われた後には、鹿たちには確かにエネルギーが宿っていました。二日間の疲れがたまっていても、からだを躍らせる力が残っていないわけではないのです。その力が発揮されるためのきっかけが必要だったのかもしれません。舞台は次第に熱気を帯びてきました。

こういう時の瀬戸嶋さんの指導は、人や空間にエネルギーを与える仕事であるように僕の目には移りました。遅い流れに勢いを持たせるにためは、その流れにエネルギーや勢いを注入しないといけません。そのエネルギーや勢いの出どころは、まぎれもなく瀬戸嶋さん自身(のからだ)です。それは何かを教える行為であるというよりも、何かを動かす営みであるように見えました。それはかなりの力がいる、体力が、労力が必要な作業だと思いますが、そういう営み自体にもどこか面白さややりがいがあるようにも思います。

Aグループのけいこは、1時間半くらいかかったでしょうか。そのあと少しの休憩をははさんで、Bグループのけいこに入りました。

30分ほどけいこをしたところで、お昼の時間になりました。けいこは一時中断し、昼食後にまた再開することになりました。僕はBグループの演目の時には、物語の終盤の嘉十の役をやることになっていましたが、実は二日目までのけいこでは自分の役の番になる前にけいこが終わってしまっていたのでした。そのため、今回ももしかしたら自分の場面のけいこはないのかもしれない、そうなると一度もけいこをしないまま本番を迎えることになるかもしれない、そう思って少し不安になりました。とても集中力とエネルギーのいる(と僕には感じられる)シーンがあって、そこがこの物語のひとつの「オチ」でもあったので、自分が中途半端なことをしてしまったら演目が台無しになってしまうかもしれないと緊張していたのです。

そんな僕の緊張を和らげてくれるものがありました。ひとつは、Aグループの演目の時に、物語の終盤の嘉十の役をやったYさんの、その終盤のシーンの演技のはじけっぷりでした。踊りまわる鹿たちの輪の中に、突如、あまりの興奮にいてもたってもいられなくなった嘉十が飛び込んで行ってしまう場面。大きく声をあげ、からだを躍らせ、鹿たちを盛り上げようとする嘉十(Yさん)の姿は、それはもう見事で、二日目の夜に初めてそれをやったときには、会場にいたみんなが笑い声をあげ、輪を作って踊っていた鹿たちは本当に驚いて逃げ回りました。たしかお腰を痛めていたはずですが、そんなそぶりはみじんも見せず、ただ一心に鹿とじゃれ合おうとするその姿と、その張り切りの空回りっぷりが、この物語にまさしくぴったりであるように誰もが思いました。僕は、このシーンは、こんなふうに思い切って飛び込んでゆけばきっと大丈夫なんだと思うことができました。それはとても大きな勇気になりました。

もう一つは、Bグループの鹿役の一人のWさんでした。Bグループの演技を、舞台の脇で自分の出番を待ちながら見ている間、僕はいつも不安になっていました。そんななか、Wさん鹿の出番になって、Wさんがセリフをしゃべると、その力強い声が僕の方へ届いてきました。その声の響きの力強さから、僕は大きな力をもらうことができました。なぜそうなるのかはわかりませんでしたが、Wさんの低くはっきりとした声が聞こえると、僕の体は体温が少し上がるようでした。Wさんの声は、僕の心を安心させてくれて、勇気を与えてくれたのです。その話を、本番が終わった後の、帰る前の着替えの時にWさんに話してみると、Wさんは照れたような顔をしていましたが、僕はその声からもらったエネルギーのおかげで、はじけきった「へんなやつ」を十分に演じ切ることができたのでした。

そういうわけで、昼食をはさんで行われたBグループのけいこで、僕ははじめて嘉十の役として、鹿の輪の中に飛び込んでいきました。これまでナレーターの位置から眺めていた舞台の空間は、そこに立ってみると、とても広くて何もなくて、なんだか自分が試されているような心持になりました。嘉十が飛び込んだことで鹿が逃げてしまい、舞台の上には自分一人しか残っていないので、その状況に不安を感じていたのかもしれません。あるいはそれは、張り切って飛び出してみたはいいものの、期待は裏切られて一人ぼっちになってしまった嘉十の心境を、からだ全身で感じとっていたのかもしれません。

ただしそこには、ナレーターという、自分のこれからを導いてくれる声の存在がありました。鹿の輪の中へばっと飛び込んだ時は後先のことを何も考えておらず、肝心の鹿が去ってしまって、さてこの先どうしたものかとなりましたが、ぼーっと立ち尽くす僕の耳に、ナレーターの女性の柔らかい声がふっと聞こえてきて、あとはその声に合わせてからだを動かしていくだけでよいのでした。僕は思い出したように、苦笑いを浮かべた後、手拭を拾い、荷物を背負って、西の方へ歩いて行ったのでした。僕はこの時、たくさんの人に見られている緊張はありましたが、その場で自分が何者かになっているということを、自分なりに楽しむことができました。

僕の話ばかりで恐縮ですが、Bグループのけいこが最後まで終わって、いよいよあとは本番を残すのみとなりました。少しの休憩をとって、いざ、一本勝負の本番も幕が上がります。さてさて、どんな舞台が繰り広げられたのでしょうか。

 

つづく