書くことからはじめてみよう。

言葉にすることで、何かが変わるかもしれない。

和邇合宿①-からだとことばのレッスン「鹿踊りのはじまり」

梅雨も明けようかという七月半ばの三連休に、琵琶湖の湖畔にある「和邇浜青年会館」にて、「からだとことばのレッスン」の合宿が行われました。その模様をお届けいたします。

 

第一日目

 

お昼の1時が集合時間でした。滋賀県のJR和邇(わに)駅から徒歩20分ほどのところに、「和邇浜青年会館」はありました。琵琶湖のすぐ近くにあるユースホステルで、建て増しされたその民家のような宿泊場に、参加者たちがぞろぞろと集まりました。見知った顔や、見知らぬ顔がそこにはありました。お昼を食べ、出欠をとってから、レッスンの会場へ移りました。

13時を少し過ぎたころ、ようやくみんなが集まって、合宿が始まりました。16人の参加者が車座になって、まずは一言ずつ、それぞれの合宿への思いや緊張を語ります。東京や大阪の定例会に参加している人もいれば、初めて参加する人もいました。なかには、たまたまお店で見かけたチラシに興味を持ち、開催者の瀬戸島さんにすぐさま連絡し、キャンセル待ちをして参加した方もいました。

さて、いよいよレッスンが始まります。

まずは、からだのぶら下げをやりました。直立したところから、上半身を下におろしていき、股関節のあたりから上体を「ぶら下げ」ます。そのまま脱力していると、重力に引っ張られて、上体が下へ下へと伸びていきます。はじめのうちは、脚の裏側や腰のあたりに張りが出てきて、ちょっと辛かったりしますが、慣れてくるとそれがむしろ気持ちよくなってきます。背中を中心に、体が伸ばされている証拠です。

一人が体をぶら下げたら、ペアになったもう一人が腰や足を持ち、前後左右に揺らして体をほぐしていきます。これはなかなか難しいですが、四方八方に体を揺らすと、揺らされた方の足がスッと軽くなったり、見栄えが良くなったりしました。

からだほぐしをしているなかで、時たま、瀬戸嶋さんが誰かをつかまえて、「ちょっと声を出してみて」と言って、らららららーと遠くの方の人へ声を出すのをやりました。ほぐれた体からは、レッスンの初めの一言を言い合った時とは違った、伸び伸びした声が出ていきました。僕もふいに瀬戸嶋さんにつかまって、らららららーと発声した後、その流れと勢いで「こらっ!」と叫びました。会場からは笑いがもれました。それはきっと良い声が響いていたから起こったことなのでしょう。

今度は、ペアになった人同士が向き合って、らららららーと互いに声を出し合いました。大きな声を出すというのと、相手に届く声を出すというのとは、少し勝手が違うようです。聞き手の方は、らららららーという声が、自分の方に来ているなーと感じたときには少し後ずさりして、来ていないなーと思ったらその場に立ち止まったり少し前へ歩き出したりしました。僕は最初、自分がレッスンを多く経験しているということもあって、「こんな風にしたらいいんじゃないかな?」などとアドバイスをしたりしていましたが、何度かやっているうちに、考えすぎてしまったのか、自分の方があんまりうまくいかなくなって、なんだか少し申し訳のない気持ちになりました。

少し休憩をとるようにして、輪になって感想を言い合っているとき、瀬戸嶋さんが不意に「ラーメン」と言いました。そして、瀬戸嶋さんの隣に座っていた常連の参加者に「カレーライス」と言わせました。そのあと瀬戸嶋さんはまた「ラーメン」と言い、もう片方もまた「カレーライス」と言い、それからまた「ラーメン」、また「カレーライス」、「ラーメン!」、「カレー-ライス--!」、「ラー!メンー!」、「カレーライスっ」、......まるで、今日の夕食を何にするかで互いに譲らずもめている幼い兄弟のように、しばらく二人はそう言い合っていました。

感情を表す言葉というものは、心の中にある気持ちが形になって現れたものだと、何となくそう思っていたりするものですが、「ラーメン」「カレーライス」といった何でもない言葉を言い合うだけのこのやりとりにも、実はいろんな感情を乗せることができるということを、瀬戸嶋さんは示したかったのではないか、なんていうふうに僕は思いました。さっきのペアでこの「ラーメン」「カレーライス」をやったとき、僕のペアの女性は体をうねらせ、横になり、ゴロゴロしながら「カレーライス」を懇願してきました。ひとつひとつの「カレーライス」には、どうしてもカレーライスじゃなきゃいや!という強い感情や、なんでカレーライスじゃないの?というこちらを伺い揺さぶるような感情があって、それはそれは色とりどりで面白いものでした。

ちなみにこれは、「ラーメン」と「チャーハン」だと、ふたつの食べ物の相性が良いためにかえってうまくいかないそうです。

そうやって言葉で遊んだあとには、大縄跳びをやりました。参加者たちは、きっと久しぶりの大縄跳びを、はしゃぐようにして楽しみました。そこそこに慣れてきたところで瀬戸嶋さんが、「縄を飛ぶときにバンザイしてみよう」と言い出しました。ある四十肩をお持ちの参加者は、心の中でぎくっとするものがあったそうですが、瀬戸嶋さんでも心の中まで読めるわけではないので、そのまま大縄跳びがはじまりました。

ぐるくる廻る縄の中は、とても狭い空間のように思え、みな体を縮こめるようにして飛んでいましたが、僕たちが縄を飛ぶときには、縄は足元にきているため、どんなに手を上へ伸ばしても大丈夫なのでした。そう言われてみると確かにそうだと思ったのは僕だけではなかったようでした。もっと自由であっていいはずの体を、僕たちの意識や無意識が、こんなにも簡単に窮屈にしてしまうことを、そしてそうなってしまうことが当たり前のことのように思えてしまうことを、まざまざと見せつけられた心地でした。

それからはもう、みんなははしゃぎながら、綱の上をぴょんぴょん飛び跳ねました。

そのとき、急に会場の扉が開き、何か生き物のようなものが現れたと思ったら、何のことはない、この青年会館のおかみさんで、どうやら会場の下の食堂にズシンズシンという音が響き渡ってしまっていたようで、僕たちはすみませんという顔をしながら、さっきまでの楽しかった時間の余韻をそれぞれの顔に湛えながら、のそのそと夕食を食べに行ったのでした。

 

つづく