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書くことからはじめてみよう。

言葉にすることで、何かが変わるかもしれない。

「からだとことばのレッスン2/27」感想

からだ エッセイ

2/27(土)、「からだとことばのレッスン」というものに参加してきました。

これは、竹内敏晴と野口三千三という、からだに深く深く関わった二人が行っていたワークショップを引き継いだもので、からだをほぐしたり、ゆらしたり、声を出したり動いたりしながら、自身のからだと向き合うという、そんなボディーワークです。

参加するのは今回が初めて。ただ、竹内さんや野口さんの書籍は読んだことがあって、特に竹内さんにはかなり熱中していた時期があったので、僕にとっては待望の初参加です。

からだを使うことですから、体験したことのない人に伝えることはとても難しいですが、そこで感じられたこと、起こったこと、思ったことを何かしら受け取ってもらえると嬉しいです。

まぁ、個人的な感想です。

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唐突ですが、レッスンの中で、主催者の瀬戸嶋さんが、冗談交じりに、でも半分本気に、

「レッスンした後に何も残らないようなレッスンがいい。」

 とおっしゃってました。

自分の中の何かが変わったと感じるとき、「変化した」ってことをどうして僕らは分かるんだろう??それはやっぱり、「変化する前の自分」を覚えているからでしょうか。体が硬かった時の自分を覚えているから、今のほぐれている自分をみて、あ、変わった!と思ったり。声がスッと出たり、呼吸が深かったり、ついつい笑顔になってしまったりする自分に気づくというのもそう。

そういう気づきって、とても楽しくて、嬉しくて、興奮するしわくわくするし、何度でも体験したいって思う。でも、それ(だけ)だと実は「変わることができない」ということを瀬戸嶋さんは感じているんじゃないかしら。

自分の変化が分かるのは「昔の自分」を覚えているから。「昔の自分」と「今の自分」とを比べたときに、これだけ変化したって思えるものを言葉にして伝えたりする。そういう感想が出るってことは、自分を感じ分けるときの基準が「昔の自分」にあるってことですよね。つまりそのときには、「昔の自分」こそが基準になっていて、「昔の自分」がフツーの自分、標準の自分、そうであることが当たり前の自分になっている。

というこは、「昔の自分」からこれだけ変化した、という実感や感想を抱いているうちは、「昔の自分」から離れることができない(できていない)ということになる。

「昔の自分」と離れることなしに、自分が変わることができるかというと、そんなことはないですよね。それじゃ変わるってことにならない。変わったことにならない。

自分が本当に変わった時というのは、自分の中の身体感覚とか価値観とか世界観とか世界の見え方とか、そういうものが変わってしまっているから、もう前の自分じゃないんですよね。だから、前の自分が何を考えていたのか分からない。どんな感覚でいたのかも分からない。何か今の自分とは違う考えや感覚でいたことはわかっても、それと同じものを自分の中に見つけることができない。ここまで来て初めて「変わった」と言うことができる。そしてその「変化」を実感できるのは、自分の心やからだの中を見つめた時ではなくて、例えば過去に苦手であったような場面(人と会うとか)に出くわした時の自分の反応や対応が、今までに無かったものであったのを目の当たりにした時なんかに、「あ、自分、変わったんだな」と分かる。

そんな風に考えたとき、ふと、レッスン冒頭の一場面が思い浮かんできました。

 

この「からだとことばのレッスン」では、参加者がお互いの体をほぐしていきます(主に揺らしてました。いろんな仕方で。)。先生に体をゆすられたあと、仰向けに寝転び、ゆったりと呼吸している参加者のその顔を覗き見てみると、顔がほころんで、力が抜けてて、ゆったりと呼吸しているのが分かる。穏やかで、幸せそうな表情をしているなぁと思う。

けれども、僕は、参加者の顔の「変化」がよく分からなかった。

確かに力が抜けていて、幸せそうな、穏やかな表情をしている。力みがないのが分かる。でもそれが施術の前と比べてどうかと言われると、それはよく分からない。そもそも、施術前ってどんな顔をしていたんだろう?みんなで自己紹介もしたから、確かに見ていたはずなんだけど...

 でもそれは、きっとその人の顔や体が“確かに”変わったからだと、そう思ったんですね。変わり切ってしまったから、もう変わる前のその人はいなくなってて、変わった後のその人だけがいる。そこにはもう比べるものがない。ただただ目の前に穏やかで背筋の通った人がいるという、その状況を目の前にして、何が変わったかと言われてもなんのことだかよく分からない。

そんなことが起こっていたんじゃないかと(あるいはほかの人にも起こっていたかな?)今になって思います。不思議な体験です。

 

僕らはしばしば、何かと何かを比べて、こっちが良いとか悪いとか言って、いいものに触れては喜び、悪いものに当たっては嘆いたりします。けれども実は、ただただ良い感じがする、幸せな感じがする、ほわほわと温かい感じがする、そんな風な喜びの感じ方があって、僕らはそんな風にして生きることができるし、そんな時間を生きることができる。それを実際に、短い間かもしれないけれど、生み出してしまうのがこのレッスンの凄いところで、逆に言えばそんな幸せな感覚を見失ってしまう普段の生活や社会ってなんなのだろう...と思わせててくれるところもこのレッスンの醍醐味です。

 

…なんか常連さんのコメントみたいになってしまった(笑)

長々と失礼いたしました。お付き合いいただいた方どうもありがとうございます。

 

…続きます(たぶん)。

 

…やっぱり長い(重い)な(汗)今回は記念にのっけときます。

おわり。