書くことからはじめてみよう。

言葉にすることで、何かが変わるかもしれない。

就活日記⑧ 春過ぎて

春が過ぎて、梅雨も明け、7月も下旬に入った。就活もいよいよ大詰めというところだ。

このブログを訪れるような就活生は、いるとすればだけれど、きっと内定をまだ一つももらっていないか、あるいは目当てのところからはもらえていない人なんじゃないかと思う。もし進路が決まっているのだとしたら、就活生の書く日記をわざわざのぞいたりしないだろうし、就活に不安が残っているからこそ、検索ワードに「就活 日記」なんていうワードを打ち込んで、他の就活生が―特にまだ悩みあえいでいる就活生がどんな心持でいるのか、どんな行動をとっているのか確認しようとしてしまうんじゃないかと思う。

そういう話をするということは、僕自身、そういうことだ。

自分の中に、軸として持っていたもの、信念のようにして持っていたものが、崩れてしまったようだ。その信念は間違っていたのかもしれないと思う。信念にこだわるあまり、取り返しのつかない事をしてしまったかもしれないと思ったりもする。一方では、もし一つでも内定が取れていれば、その信念は肯定されていただろう事も知っている。けれど、僕はまだ内定をもらっていない。その、内定を未だもらっていないという事実が、自分の上に重くのしかかっている。やっぱり僕は駄目だったんじゃないかと、その方向へばかり思考は進んでいってしまう。

今月はメインとなる企業2社の面接があって、どちらともその2回目で落ちてしまった。そのうちの一社は、就活が始まって以来から第一志望であった会社で、そこから無念のメールが届いて以来、僕は就活らしいことを何一つ行えないでいる。ただ、振り返ってみれば、この2社の選考が進んでいる間は、その面接の対策などを除けば、僕はほとんど就活らしいことをしていなかった。企業を探したり、説明会を予約したり、エントリーしたりすることなく、ただ面接の事だけを考えていた。その2社のどちらかに入社すれば、全く問題なかったのだけれど、どちらからとも断られたとたん、就活に対する不安な気持ちが高まってくる。

僕はこの3週間ほど、この2社の選考に集中するというていで、就活にまつわる他の面倒な作業を怠ってしまっていた。2社に集中することで、没入することで、就活に対する不安であったり、自身の至らなさであったりを忘却していたのだろう。それは、2社のどちらかに採用される見込みがあるからの安心感ではなく、ただ目の前の短期的な目標にやっきになることで、不安や自己批判を忘れることによって生まれる安心感でしかなかったのだろう。要するに、熱に浮かされていたということだ。

面接を受けた直後は、通っていても通っていなくてもおかしくはないな、と感じ、そのどちらになっても妥当だと、受け入れるべきだなどと、妙な自信をもっていたのだけれど、いざ落ちてしまえば、すぐに落ち込んでしまっている。その落差の大きさが、面接とその結果に対する自信が実は空虚なモノであったことを示している。ただ不安な気持ちから逃れるために、内定というある種の保証を得るために、必死になって文芸誌を読み、社史を調べ、バックナンバーから特集を探し出し、志望動機やこれからの業界の展望について考えをめぐらしていた。そういって間違いではないと今では思う。

あるいはそんな風にして、内定に恋い焦がれ、安定や保証を追い求め、選考に没入していく就活生というのは、珍しくないのかもしれない。だとすれば、この就活というシステムは、一体何なのだろうという気がしていくる。一方で、今度の僕のような浮ついた態度ではなく、自然体の集中力を持って就活に取り組む学生もいるのだろうと思う。あるいはそういう意味での「良い学生」が、企業には求められていて、早いうちから内定ももらっているのかもしれない。つまり、就活というシステムが、「内定の為に就活をする」学生と、「仕事をするために就活をする、人生の一つのステップとして就活をする」学生とをふるいにかける機能を演じているのかもしれない。僕自身が社会人だったら、そのような「ふるい」があれば、便利に思うだろうなと思う。一方で、負け犬の遠吠えになるかもしれないけれど、そういった機能の有用性は認められるとしても、それが新卒一括採用というしきたりと併用して用いられているところに、今の就活のもっとも息苦しい部分があるのではないかというようにも思える。社会からふるいにかけられることと、一度ふるいにかけられたらもうどうにもならないというのは、別の話だと思うからだ。しかしながら、就活が今後の人生を決めてしまうといった話にこだわっていしまうということそれ自体が、就活の結果を乗り越えることができない人間に自分自身を固定してしまう言説でもあるわけだから、なるべくそういう批判めいたことは言うべきではない(じゃあ何で書いたんだ)とも思う。そういったネガティブな言葉から自分の人生を組み立てる事の無いように、もうしばらく辛抱して、体を休めつつ、少しでもストレスを軽減させて、自分の未来について明るく考えられる時を待ちたいと思う。