読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書くことからはじめてみよう。

言葉にすることで、何かが変わるかもしれない。

就活日記⑤ 「読書から受けた影響」の話

「読書はあなたにどのような影響を与えたか」という課題があったので、それをここで考えてみたい。

 

 この問いは僕にとって興味深いものだけれど、他の人にとってはどうなんだろう?「あなたにとって読書とは何ですか」ではなく、「読書体験について述べてください」でもなく、「どのような影響を与えたか」という問いがここにある。読書から受けた影響・・・僕は本を読むことからたくさんの影響を受けていると思うけれど、読書という営み自体から受けた影響について考えたことは案外無かったことに気付いた。

決定的な影響を与えられた本が何冊かある。その筆頭は内田樹の『街場の文体論』で、これは僕の人生を変えた一冊です。昨年は多く見積もって50冊くらいの本を読んだけれど、それまで年間10冊も読んでいなかった僕が、読書をする時間を大切にするようになったのもこの本がきっかけだった。この本のあと、内田樹の本をいくつか読んだけれど、ある作家というくくりで本を選んだのは初めての事だった。そもそも何かのくくりで本を選んだことがなかった。なんとなくよさそうな本を見つけたら買って読んでいた程度だった。それが今では、作家に限らず出版社やテーマでまとめて本を探すようになった。それまでの読書経験の乏しさが恥ずかしくはあるけれど、僕の読書生活を切り開いた一冊としてこの本はある。

僕と読書の関係に限らなくとも、僕がこの本から得たものや、この本から受けた影響は大きくて多い。けれどそれらは、どちらかというと、読書から与えられた影響というよりも、『街場の文体論』という本から受けた影響という感じがする。この本から受けた独特の影響について僕はたくさんの事を語ることができるし、実際色んな人に語ったりもした。一方で読書という体験自体が僕に与える影響については、あまり考えたことがなかったと思う。「この本を読んでこんな影響を受けました」と語ることはできるけれど、今回は「読書を通じてこんな影響を受けていると思います」と言うことを書きたい。というかそういう問いが立てられているから、そう答えるべきなんだけれども。それに、この本を読んで受けた影響は計り知れないものであるから、具体例として参照しないわけにはいかない。

 

 読書が僕に与えた影響。影響ってなんだろう。僕に与えられた影響。それは、僕の人生の流れを変えるような力の働きのことを言うんじゃないかな。だとしたら、僕の人生の流れに、読書はどのような作用をもたらし、変化を生み出しただろうか。読書という体験の前と後で、僕はどう変化したのだろうか。

簡単に言い切ってしまえば、僕は読書を通じて、自分の思い描く世界の小ささを知った。つまり自分の小ささを思い知った。自分の外には、自分が思っているよりも広い世界があること、「広い世界がある」と思っているよりも広い世界があるということを知った。これが一番だと思う。

内田樹を読んだ時の衝撃の一つは、その「知性」のスケールの計り知れなさだった。当時僕は結構いい大学に通っていて、高校の時に模試で学年一位になったこともあったから、自分は結構頭がいいものと思っていたし、知性的な人間だと思っていた。けれど、内田樹氏の知性というのは、僕が考えていた知性のスケールを凌駕するものであったのだった。僕が抱いていた、頭がいいとはこういうことだという知性のイメージを遥かに超えた次元で知性を働かせている人がいる。僕が思う最高に頭がいい人を完全に超えた知性がある。僕はどれだけ頑張っても、この知性には届くことがない。言ってみれば、僕が山登りをして高いところを望んでいるのを横目に、内田樹は飛行機で遥か上空へ飛びながら、宇宙へ行くにはどうすればなんていう話をしているようなものだ。知性のスケールが違う。いや、スケールが違うんじゃない。次元が違うんだ。大きさの問題ではなくて、質の問題ではなくて、住んでいる地平の違いだった。

しかも内田樹氏はそのことに自覚的でいた。「良い知性とはどういうものか」についてはっきりとした言葉を持ち、自らの知性と僕のような知性との違いを鋭く指摘していたのだ(!)。しかも内田氏の文章を読むと、その内容に完全に同意している自分がいる。今の自分ではいけないということがはっきり分かる。これは完全に負けたと思った(勝とうと思っていたところが面白い)。

そのようにして僕は、内田氏の本を読んで、自分という枠組みが壊された。いや、壊さなければならないと強く感じた、と言った方が正しいかもしれない。そうしないと僕は内田氏のような知性を手に入れることができない、というか内田氏らと同じ地平に立つことすらできない。それはやばい。そう強く思ったのを覚えている。

 これが僕の読書の原体験としてあるのだと思う。